(印象派とジャポニズム)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、西欧では日本美術の大流行時代が現出した。そのきっかけは日本の開国(1854年ー日米和親条約)とともに大量の日本美術品が海外に流出したことと大いに関係がある。
マネ・モネ・ホイッスラー・ブラックモン・ゴッホなど枚挙に暇がないほどのフランス印象派人たちが大きな関心を寄せた。また安価な日本の美術品を大量に買い付けた美術商(例サミュエル・ビング)らの役割も否が応でも流行に拍車をかけている。
もっとももてはやされたのが浮世絵であった。
浮世絵の鮮やかな色調・構図などは当時の印象派画家たちをひきつけて離さなかった。彼等は好んで浮世絵的風景・役者・花魁・美人画を題材とした。
当初浮世絵を中心に絵画の世界が主であったジャポニズムは、やがて工芸・デザインの世界にも及び、ヨーロッパ社会からアメリカに拡大した。また、日本風の動植物デザインが多用され、例えばガレに代表される、「アール・ヌーヴォー」やドイツなどでの「ユーゲントシュティル」などの新様式を生んだ。
(ホイッスラー1832~1903)
彼はアメリカ生まれで、1855年渡仏してクールベらと交わり、後にはマネ等とも交わった。
1860年代には陶磁器の世界にも強い関心を抱いた。「美のための美」を追求する唯美主義を代表した画家。
(『白のシンフォニー第二番ー小さなホワイト・ガール』)1863頃
染付の壷や碗に注意して頂きたい。団扇などもまさに東洋趣味そのものである。
(孔雀の間)
ホイッスラーは彼のパトロンの富豪レイランドのロンドンにある屋敷の食堂に華麗な孔雀の絵をかいた。その下段は陶磁器棚で、彼の東洋趣味を代表する作品『陶器の国の姫君』が収められた。
(陶器の国の姫君)
(エミール・ガレ)
彼は工芸分野での「アール・ヌーヴォー」の様式を代表する作家である。ガレも日本的意匠を使った人物で、下の『鯉魚文花瓶』の意匠は『北斎漫画第十三編』中の『魚濫観世音』をそのまま使っている。
(鯉魚文花瓶)ー1878年パリ万国博覧会出品作品
参考
(『北斎漫画』の魚濫観世音)