正倉院のガラス器
正倉院宝物は天平勝宝8(756)年、聖武天皇七七忌に光明皇太后が天皇愛蔵の遺品約750点を、東大寺の廬舎那佛(大仏)に奉献し、東大寺の中心的倉庫の正倉院に納められたことに起源する。当初の奉献品は三分の一くらいに減じているが、光明皇太后の追奉献など多数の奉献が行われ、途中かなり失われながらも今日では約一万点もの宝物が現存している。
この欄に貼り付けた3点のガラス器は実は当初の奉献品のリスト(東大寺献物帖)には記載されていなくて、後世の奉献とされている。ただ、世界的なガラス資料の比較から下記の年代が同定されて、宝物とされた過程が推定され、古代ガラス器研究の目途とされている。
(白琉璃碗 4~5世紀 ペルシア)
この碗は謎を秘めたもので、正倉院の目録に初めて記録されるのは慶長17(1612)でそれ以前にはこの碗の記録はない。実はこの碗と瓜二つの碗が東京博物館に所蔵され、伝安閑天皇陵出土とされ、この碗の記録は江戸初期の史料に登場するので、そのことが強く意識され、江戸初期に正倉院に入ったものと推定される。
(紺琉璃坏 7世紀前半 ペルシア)
この坏は6個のガラス器の中で最も美しいもので、ガラス工芸技術上瞠目すべきものはこの坏の22個の環状装飾の融着技術です。類例の装飾は韓国・慶州郊外・漆谷郡松林寺の磚塔で発見された緑琉璃舎利坏(7世紀・新羅)と中国・西安市何家村出土の唐時代玄宗のころ、安禄山の乱で避難する時に埋められた穴の中から発見されている。
正倉院の記録では12世紀の末の記録から登場する。
(緑琉璃十二曲坏 中国 17~18世紀)